ほとんどの家庭では厳しい水質試験に合格した安全な水を蛇口をひねるだけで手に入れることができます。
日本人である私たちにとっては当たり前のことなので、水に対して特に意識をせず使い続けているのが現状で、水道を流しっぱなしにしながら、何か別のことをしていた覚えのある人はいるのではないでしょうか。
当然のことのように使い続け、昔から命の源であり、時には恐れられてきた水を大事にしなくなってきていることに関して、約40年以上前に作家のイザヤ・ベンダサン氏が書いた「日本人とユダヤ人」でこのように述べています。
「日本人は水と安全はタダと思っている」
このように、日本では「普通のことである水道からでる水」への意識の低下はインフラが整い、日本が生み出した知恵や技術力によって安全な水を容易に確保できるようになってきたからにほかなりません。
現代でも水の大切さを訴えている組織や人物がいるように、700年以上前であっても道元禅師が「人間の命の原点は水であることを忘れるな」と口を酸っぱくし、説き続けていたそうです。
かつて、人間の原点であり、生きていくために必ず必要である河川の周り生まれたのが紀元前3,000年程前からメソポタミア文明や、エジプト文明のような4大文明です。
こういった文明では河川の洪水によって、食物に必要な栄養分や水分を土に与えたり、衛生的な暮らしを行うために必要である大量の水を得ることができていました。また、水を管理するための決まり事だけではなく、治水等をするための技術や天文・暦法など多くの知恵を河川の近くに住むことで蓄えてようです。
このように、はるか昔から人間の暮らしは水によって支えられてきたといっても過言ではないほど、人間が暮らしていくうえで水は必要なものです。
水は大切であるが故、水を巡っての対立や暴動が世界各地で発生していて、例えば、2016年9月現在に発生した直近の問題でいうと、インド南部の都市であるベンガルールで水不足が深刻な他の州に水を分け与えるという裁判所の決定に反対した市民が、暴動を起こしたそうです。
実際に安全な飲料水を容易に手にいれることができない人が世界中で約9億人以上いると言われていて、国によっては水の奪い合いで血が流れることも少なくありません。
今から10年以上前に当時の世界銀行の副総裁であったイスマル・セラゲルディン氏は水不足によって起こりうる問題に関して、当時このように述べていました。
「20世紀の戦争が石油をめぐって戦われたとすれば、21世紀は水をめぐる争いの世紀になるだろう」
2025年には世界の人口が約80億人を超えると予想されていて、人口増加に伴う水の必要な量が足りておらず、世界の3分の1は十分に手にいれることができなくなる可能性があります。
こうした未来への危機に向けてWHOは持続可能な開発目標(SDGs)の中に「すべての人々に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する」と定めました。
人間の体内の水の割合は約60%であるということは、広く知られていて、主な役割として、有害物質を体の外に出すための利尿効果や血液の循環をよくする効果等があると言われています。
それゆえ、水不足はかつて南米で繁栄し、人口が約220万人以上暮らしていたとされるマヤ文明が大干ばつによって衰退していったように、長く続いてきた文明を滅ぼしてしまうほどの影響があります。
歴史は繰り返されると言われますが、今この時点で水に対しての意識を一人一人が変え、蛇口からでてくる水を大切にしていくことは、私たちの子供やそれに続く後世を大事にしていくことにつながっていくのではないでしょうか。